質量分析イメージングという分析手法を用いて、食品を分子レベルで見る榎元廣文准教授。
食品に含まれる栄養成分や機能性成分、毒性成分を計測し、その分布を可視化することで、
食品の可能性を広げることが目標だ。国内外で実施施設の少ない分析機器を所有することから、
関東エリアの質量分析イメージング研究拠点として分野横断的な発展をめざす。
「イチゴは先端が甘くて美味しい」
その成分の分布を初めて可視化
私たちが日々食べている食品には、さまざまな成分が含まれている。タンパク質、脂質、炭水化物(糖質)、ミネラル、ビタミン、食物繊維の6大栄養素をはじめとした栄養成分や、ポリフェノールなどの機能性成分は、健康に影響をおよぼす大切な成分である。
食品ごとに含まれる成分は、さまざまな分析技術によって測定できる。しかし、従来の分析方法でわかるのは食材に含まれる成分の種類と量だけ。より詳細な“成分が存在する場所”まで測定することはできなかった。それがここ数年のイメージング(可視化?画像化)技術の進歩により可能になった。
帝京大学理工学部バイオサイエンス学科の榎元廣文准教授は、質量分析イメージングという分析手法を用いて、食品成分の分布可視化に取り組んでいる。たとえば、イチゴは先端の尖った側が特に甘くて美味しいことが知られている。榎元准教授は、この分析手法を駆使してイチゴの先端部分にスクロースという甘み成分が多いことを初めて可視化することに成功した。
「食品の栄養成分や機能性成分の場所や量を特定できれば、その部分だけを効率的に摂取することが可能になります。一方で、穀物のカビ毒など人間にとって害のある物質が存在する場所を特定して、その部分だけを取り除いた安全な食品を提供できるなど、食品の安全性や品質にかかわる分析が可能なのです」(榎元准教授)
組織ごとの機能性成分の可視化から
豚肉の安全な部位を特定
榎元准教授の研究対象は、穀類、野菜、食肉など幅広い。たとえば、食肉の研究では、豚肉の組織別にスフィンゴミエリンというリン脂質成分を調べていった。その背景には、食肉の未来への危機感があったという。2015年に世界保健機関(WHO)が、ベーコンやハム、ソーセージなどの加工肉に発がん性があると発表。豚肉や牛肉についてもその恐れがあると触れた。
「WHOは発がん性を発表した一方で、肉を摂取することの健康上のメリットも認めています。しかし、近年食肉のイメージが悪化しつつあることを懸念しています」(榎元准教授)
食肉の発がん誘引物質の一つと考えられているのはヘム鉄。それに対してスフィンゴミエリンは発がんを抑える働きをする。そこで、豚肉の組織ごとに、スフィンゴミエリンがある場所を分析したところ、筋肉組織の中でもロースにスフィンゴミエリンが多く含まれていることがわかった。しかも、その部位はヘム鉄が少ない。豚肉のロースは、発がん性が低い安全な部位である可能性があると考えられる。
「こうして組織ごとに安全性や機能性の評価をすれば、豚肉全体が健康に害をおよぼすわけではないことがわかります。そこから危険な部位を避け、安全に豚肉を食べることができるはずです。さらに、品種ごとの違い、餌の違いによるスフィンゴミエリンの含有量の変化など、この手法を用いて分析できることは多岐にわたります」(榎元准教授)
成分の劣化を分子レベルで解明し
世界に流通できるイチゴを実現
最近では、イチゴに含まれるポリフェノールの働きを明らかにしようとしている。ポリフェノールのひとつであるフラボノイドは、酸化ストレス緩和やアンチエイジングなどの健康効果がある成分として知られているが、植物においては自己防衛機能のための物質。紫外線による活性酸素や害虫、細菌感染などから植物自身を守るためにつくり出される物質であり、品質の劣化に関係している可能性がある。
この点に着目した榎元准教授は、イチゴの傷みやすさの原因解明に挑もうとしている。質量分析イメージング法によりイチゴに含まれるフラボノイドを調べることで、イチゴの劣化についての理解を深めることができそうだという。
「日本のイチゴはとても美味しく世界に通用する果物だと言われています。しかし、極端に傷みやすいため長距離輸送できないことが課題となっています。そこで、まずはイチゴが傷むという現象を分子レベルで明らかにします。将来的に品質劣化の原因を遺伝子レベルで解明できれば、ゲノム編集などによって傷みにくいイチゴがつくれるかもしれません」(榎元准教授)
農学分野における関東エリアの
質量分析イメージング研究拠点に
見えない分子を見ることができる質量分析イメージングは、物質内の分子の「質量」を計測して、質量の違いから分子の種類や量を分析する手法。質量のない分子は存在しないため、ほかのイメージング技術では分析できない低分子をはじめ、あらゆるものを計測できる汎用性の高い分析手法である。
計測するときは、新鮮なうちに瞬間凍結した試料を10マイクロメートルほどの薄さに切り出してスライドガラスに固定した後、イオン化する。つまり、分子をプラスとマイナスの電荷を持ったガスにしてしまうということだ。そして、装置内を飛行するガス化したイオンを検出して、イオンごとの「質量電荷比(m/z)」から「質量」を割り出すという仕組みだ。この作業を、試料を細かく分割したパーツごとに行い、その分布を画像化することもできる。
榎元准教授がこの手法に出会ったのは、およそ10年前。医学や薬学の分野では応用が進んでいたこの分析手法を農畜産物でも使えないかと考え、浜松医科大学分子イメージング先端研究センターに勤務し、この手法を学んだという。
「病気の診断やバイオマーカーの必威体育_手机足球投注-官网app下载などで使われて発展した技術で、10年前は医薬以外の分野ではほとんど知られていませんでした。この10年で質量分析イメージングの技術はさらに向上し、認知度も上がってきて、共同研究の問い合わせも増えています。この分野で質量分析イメージングができる施設はほとんどありませんから、ここを“質量分析イメージングの農学分野における関東の研究拠点”にしたいと考えています」(榎元准教授)
次のターゲットは穀物。植物ホルモンは植物の生長や機能性成分の生合成をコントールする重要な物質だ。インゲン豆に含まれるジャスモン酸関連オキシリピンとアブシジン酸という2つの植物ホルモンの「分子を見る」ことに成功しているので、インゲン豆以外のさまざまな豆やイネで、植物ホルモンを調べてみたいという。まずはそれらの植物ホルモンが存在する場所を特定し、分布から生理機能を明らかにすることをめざす。その先には、植物ホルモンのコントールによる栄養機能性や保存性に優れた高品質な農作物の育種、さらには農畜産物を摂取後、機能性成分の体内動態を可視化して人の健康への影響を明確にしたいという目標がある。その第一歩として、帝京大学に来年設立予定の先端総合研究機構の枠組みの中で、薬学部の研究者らとの共同研究をスタートするところだ。
「質量分析イメージングを使えば、食品の安全性や栄養機能性、食べた後の体内動態などをより詳しく調べることができます。その結果を、日本の農畜産物の高品質化、高付加価値化につなげたい」と、将来への展望を話す榎元准教授。健康意識の高まりに伴って食の安全が重視される今だからこそ、質量分析イメージングへの期待は大きい。