三大栄養素の1つである「脂質」は、
生体のエネルギー源として働く以外にもさまざまな機能を持っている。
近年の研究では多くの疾患との関係性がわかってきた。
脂質と疾患の関わりに着目して長年研究してきた帝京大学薬学部物理薬剤学研究室の
横山和明教授と濱弘太郎准教授は、
大腸がんや先天代謝異常症と極長鎖脂肪酸の関わりを発見。
脂肪酸の代謝過程を追跡する分子プローブを自ら開発するなど、
脂質の理解をさらに深めるべく研究を続けている。
構造と機能が多種多様な
数万種類にもおよぶ脂質
ヒトが食品から摂取する栄養のうち、体を動かすエネルギー源となる、たんぱく質、脂質、炭水化物(糖質)、を三大栄養素(エネルギー産生栄養素)と呼ぶ。そのなかでも脂質は、サラダ油やオリーブオイルなどの油、乳製品、肉類などに多く含まれ、エネルギー源として必要な物質だが、中性脂肪やコレステロールが肥満をはじめとした生活習慣病の原因になることから、良くないイメージを抱かれがちだ。
一方で脂質は、細胞膜の材料や細胞内の情報伝達物質としても重要な役割を果たしている。脂質の一つであるリン脂質は細胞膜の主成分であり、水に溶ける(親水性)頭部と水に溶けない(疎水性)尾部とを持つ。このリン脂質が、細胞の表面で疎水性の尾部どうしを向かいあわせた二重構造をとることで細胞の内側と外側を遮断している。また、プロスタグランジンという脂質は、細胞内や細胞同士の情報伝達を行う神経伝達物質やホルモンとして働き、痛みや発熱を起こす生理活性物質として知られる。
脂質の三大機能
このように生命活動にとって欠かせない脂質は炭素と水素がつながってできた物質だが、つながり方次第で構造の異なる多種多様な脂質となる。これまでの生化学的な研究をもとに存在が推測される脂質は数千から数万とも考えられており、それでもごく一部に過ぎないと主張する研究者もいる。しかも、構造の違いは機能の違いとなり、生体内でさまざまな作用を生み出す。
脂質と疾患の関わりに着目して研究を進めている濱弘太郎准教授は、次のように説明する。
「新たな脂質の役割がわかったと思った途端に別の脂質が見つかるなど、脂質研究はエンドレスです。しかし、最新の質量分析計を活用することで脂質の構造を網羅的に調べられるようになり、脂質の役割についての理解が深まりつつあります」
先天代謝異常症や大腸がんと
極長鎖脂肪酸の関係を明らかに
数万種類の脂質があるとされるなか、濱准教授らがターゲットとしているのは極長鎖脂肪酸だ。脂質を構成する基本単位である脂肪酸は長さによって性質が変わり、炭素数2~6の短鎖脂肪酸や炭素数8や10の中鎖脂肪酸に比べて、極長鎖脂肪酸は炭素数が23以上とかなり長い。もともと水に溶けにくい脂質がこれだけ長くなるとますます溶けにくくなり、体内にたくさん溜まっていくことでさまざまな疾患を引き起こす。
極長鎖脂肪酸との関わりが深いとされる疾患の一つに、先天代謝異常症がある。生まれつき特定の酵素に機能障害があり、アミノ酸や糖質などが体内に過剰に蓄積してしまう先天代謝異常症は、蓄積する物質によって多様な症状があらわれ、治療が難しいものも少なくない。先天代謝異常症のなかでも脂質が蓄積してしまう脂質代謝異常(副腎白質ジストロフィー)は、副腎機能不全や中枢神経変性、発達の遅れなどの症状が見られる疾患で、日本では難病に指定されている。
これらの疾患については発病のメカニズムを含めて不明な部分も多い。濱准教授は、先天代謝異常症では細胞膜のリン脂質の一部に極長鎖脂肪酸が規則的に結合していることを発見。
「生化学者としては、病態発症のメカニズムを解明する意味でも、代謝プロセスまで明らかにしたい。そのような課題があるなかで、技術の進歩によって質量分析計が登場し、分子量という切り口から脂質分子一つ一つを調べられるようになりました。この技術により濱先生がしらみつぶしに調べた結果、先天代謝異常症において極長鎖脂肪酸がリン脂質に結合していることを見出したのです」と話すのは横山和明教授。
極長鎖脂肪酸の構造や体内での代謝プロセスを紐解くことで、病気そのものの機構や症状との関わりを解き明かそうとしている。
同様に、大腸がんも脂質との関わりが指摘されていた疾患である。大腸がんの患者数は、脂質の多い西洋的な食事の普及とともに現在も増加中であるが、どのような脂質が「悪玉」であるかはいまだに不明な点が多い。濱准教授はこの部分に着目し、帝京大学医学部附属病院外科下部消化管グループなどとの共同研究を通じて、大腸がんの腫瘍部ではリン脂質ではなく中性脂肪(トリアシルグリセロール)の形で極長鎖脂肪酸が溜まっていることを突き止めた。
白崎講師が取り組んでいるのは、多発性骨髄腫を直接治療する方法というよりも、治療効果を高めるカギを探すことに重きを置いている。米国留学中に身につけた「CRISPR screening」という実験ツールを使い、数千万の細胞を解析することで薬剤耐性や治療感受性に関わる遺伝子を見つけ出すのだ。例えば、抗がん剤治療をした細胞の中でどの遺伝子が耐性化を引き起こしているかを特定し、その遺伝子をターゲットとした別の薬(併用薬)を投与して長く抗がん剤が効くようにする。
脂肪酸を「重く」して
質量分析計で計測
従来の検査手法で脂肪酸を調べるには、加水分解や酵素作用によってバラバラにした脂肪酸の組成を計測するしかなかった。しかし、先天代謝異常症や大腸がんにおける長鎖脂肪酸の関わりを明らかにするには、生体内で脂肪酸がどのように化学変化をするのか、その代謝過程を明らかにする必要がある。そこで、濱准教授は質量分析器を用いて、まずは酸化脂質や酸化脂肪酸を検出する分子プローブを開発した。
「私たちが有機化学研究者と共同して開発した分子プローブは、目的の脂質に代わって代謝される人工的な脂質で、その人工脂質を細胞や生体に取り込んで代謝過程を追跡することができます」と濱准教授は説明する。作製する人工脂質は、酸化脂肪酸のなかで特定の炭素に結合する4つの軽水素を全て重水素(安定同位体)に置き換えたもの(重水素化)。この水素が4つ分重くなった脂肪酸を細胞内に導入して質量分析器で計測し、本来より重い分子だけを検出することで目当ての脂肪酸の代謝過程を見ることができるという仕組みだ。
この分子プローブは、安価で扱いやすい重水素原子を含む触媒や試薬を用いているため、膨大な種類の脂質の解析にも簡便に応用できる。この仕組みを活かして、脂質の代謝過程を追跡するだけでなく、大腸がんのように特定の疾患に特異的に見られる脂質の蓄積を見出すことでバイオマーカーのような使い方をすることも考えられるという。
LC-MS測定例
生体の脂質を質量分析器(LC-MS)で測定した例
オレンジ色(もしくは茶色)で表示された一つ一つの点々が、異なる種類の脂質を意味する。リン脂質やトリアシルグリセロールを、構造に応じて更に細かく分離し、それぞれの脂質を検出することができる
未知の脂肪酸を見つけて
知られざる機能の解明につなげる
ここ数年で、脂肪酸の反応を探る研究設備が進歩し、脂質に働きかける酵素の解明も大きな進展がみられている。濱准教授は、次はそれらの酵素の機能に着目し、酵素によってつくられたそれぞれの脂質が疾患とどのように結びついているのかを明らかにすることを目指す。
「例えば、先天代謝異常症では極長鎖脂肪酸が直接的な原因(因果関係)になっているのか、別の原因により発病した結果、極長鎖脂肪酸が増えるのか(相関関係)を明らかにしたい。それがわかれば創薬などの治療ターゲットとして活かすことができます」(濱准教授)
これまで脂質の研究一筋で取り組んできた横山教授と濱准教授だからこそ、将来的には謎の多い脂質のことを一つでも多く解き明かしたいという願望もあるという。
「生体の四大成分である核酸、たんぱく質、糖、脂質のうち、脂質だけが疎水性で、たんぱく質である酵素からつくられる脂質は遺伝子が直接コードしていません。そのように少々変わり種の脂質だからこそ面白く、今こうしてさまざまな疾患との関わりが明らかになりつつあります。未来の医療に向けて重要な研究だと自負しています」(横山教授)
「脂質は構造が機能と密接にリンクする物質で、構造を規定する仕組みを明らかにすることが機能の理解に直結しうるという明確なロジックがとても好きです。そんな魅力的な脂質研究を続け、いずれは自ら新しい脂質を発見してみたいという夢も抱いています」(濱准教授)
生命の起源は細胞が膜に包まれるところにあるといわれるなど、生命誕生においても重要な役割を果たしてきた脂質。そんな脂質に魅せられた研究者たちの「脂質の謎を解き明かしたい」という情熱と「脂質と疾患の関わりを明らかにして医学に貢献したい」という思いが両輪となって研究が進んでいる。