- 人と植物の深い関係 -
帝京大学理工学部バイオサイエンス学科 准教授 宮本 皓司
2012年に東京大学大学院農学生命科学研究科 博士課程を修了した後、東京大学生物生産工学研究センター 特任研究員となる。2013年以降、帝京大学の博士研究員、芝浦工業大学の非常勤講師などを務めたのち、2018年より帝京大学理工学部バイオサイエンス学科 講師、2024年に准教授となる。同時期に帝京大学先端機器分析センターの准教授を兼担。イネを中心とした植物化学の研究に取り組む。
私は「稲」について研究しています。世界中に存在する植物は食料として重要なだけでなく、さまざまな薬理作用があるものもあり人類にとって欠かせない存在です。多種多様な研究が進められていますが、人の食料になる植物の研究は各国共通で特に重視されます。中でも稲は、ゲノム解読に国際コンソーシアムが結成されるなど単独で巨大な研究ネットワークを形成するほど注目されてきました。世界三大穀物である米、小麦、トウモロコシが、すべてイネ科であることもその要因と言えるでしょう。日本の主食は米なので重要性が高いことから、日本発の稲の研究は世界を先導してきました。
世界で稲が遺伝子の観点から研究されるようになってから100年余りになると言われます。1904年には、品種改良に重要な人工交配が稲で行われました。また、同時期にハーバー?ボッシュ法により化学肥料が生産できるようになったことが、農業全般にとって大きな出来事となりました。穀物の大量生産が可能になったのです。産業革命以後、農業の機械化が進み、農業手法が革新したことも外せません。世界中に農地が拡大し、イネ科の植物の普及が進みました。同時に、病気の発生や害虫の被害などのケースも増大したのです。たとえば稲だとイネいもち病菌という真菌(カビの仲間)に感染して発症する「いもち病」は有名です。古来より存在している病原菌で、一度発生すると稲の生育が悪くなり米の収量に影響を与えます。冷夏や長雨によって大規模な感染に発展しやすいことから、稲の育成において対処が欠かせない病気の一つです。他にもさまざまな病原菌が原因となる病気があります。人類の食料問題の解決に、病気に強い稲の開発は必要不可欠といえます。
私の研究テーマを一言でいうならば「稲の生存能力」です。高温、低温、乾燥、害虫、他の植物の侵入といった外的環境に対して、どのように耐性を作っているのかを研究しています。現代は温暖化で気候変動が進んだことで、水害や気温などへの耐性や高二酸化炭素環境下での育成など幅広い研究が進んでいます。特に注目されているのが高温耐性です。絶えず変わる環境課題に対応し、食糧問題解決の下支えをする私たち研究者の存在意義は日々高まっています。
私は、この研究を通して米の安定供給への貢献をめざしています。植物は根を下ろした場所から動くことができません。しかし、植物を取り巻く環境は季節や気候変動によって変化しますし、外敵や病原菌はそこかしこにいるため常に戦わなくてはなりません。植物がどのような遺伝子や化学物質を働かせて防御しているのかを研究することで、植物がどう強くなり生産量を増やし耐性を強くできるのかを明らかにしたいと考えています。中国が起源とされる稲の原種は、現在と比較すると似ても似つかない姿をしています。実をたっぷりつけることもなく米も黒く、籾に芒(のぎ)と呼ばれるトゲも発達しています。現代の稲は長い期間をかけて人類が品種改良してきたものです。一本の稲から数千粒の米を実らせますし籾のトゲもほとんどありません。稲は人の手によって空前の繁栄を遂げるまでになりました。変化する環境に対して新しい適応を求められた結果です。このような稲の変化にも、私たちの研究のヒントが含まれていたりします。さまざまな遺伝子や化学物質の働きを調べるとともに、小さな温室の中で温度や湿度など環境を変えた時の稲の変化などにも気を配って観察していきます。また、稲を研究室に持ち込み、遺伝子解析や病気への耐性なども分析しています。最終的に私たちの研究は、病害防除などの農業技術の発展や品種改良の活性化につながっていきます。
近年では、稲をはじめとする多くの植物の遺伝子の情報を利用することです。研究のベースには、モデル生物として用いられる植物があります。シロイヌナズナはその代表格です。食用に適した植物ではありませんが、世代交代が早く、育てやすく、変異株が豊富で遺伝子の機能も調べやすいということで、世界中で植物の基礎研究に用いられています。また、稲以外の穀物でも研究が進んでいます。私たちはさまざまな研究者と積極的に情報交換をしたり文献の情報を収集しながら、稲へ応用できる遺伝子の情報を取り入れています。他の植物の結果から予想通りの遺伝子の機能が見られるケースもありますし、逆に想定したものの全く異なる結果になることもあります。
たとえば、植物は自分で抗菌物質を合成して病原菌から身を守ります。最近では、稲では光の強さが抗菌物質の生成量に影響をおよぼすことがわかってきました。稲は暗いところでは生育が悪いだけではなく、病気になりやすいということです。そこで、抗菌物質をつくるために必要な遺伝子が暗いところで働きが鈍くなっているのだろうと思い調べたところ、全く問題なく働いていることが判明しました。光というトリガーが抗菌物質をつくるために必要な遺伝子の働きをコントロールするのかと思っていたら違っていたわけです。そうすると、光によって影響を受ける別のターゲットを探さなければならない。たとえば、日光によって影響を受ける気温、これまで注目しなかった他の遺伝子、さらには別の環境因子といったさまざまな要因が考えられます。いくつかの要因が組み合わさり、ある一定の条件になるとトリガーになることも考えられるので、それら一つひとつを調べていく必要があります。稲には遺伝子が数万個ありますが、さまざまな外的要因に対してどの遺伝子がどのように作用するのか膨大な調査を行うことになります。こうした地道な研究により知見が深まっていくのです。
我々の研究はSDGsの幅広い分野にポジティブな影響を与えるものだと考えています。食料問題は地球的な課題であり、多くの人たちの雇用を支える分野でもあり、経済、文化と、幅広い領域におよんでいます。科学、化学、工学といったすべてを使う分野でもあり、DNAや遺伝子の働きといったミクロな世界もカバーしつつ、気候変動への対応の最前線というマクロな側面も持ち合わせています。特にこれほど早いスピードで変化する気候に対処するためには、先端研究が欠かせない要素となりつつあります。私たち人類は食べなければ生きていくことができないのでカロリーの大半をカバーする穀物の重要度が高いことはもちろんですし、同時に植物が持つ光合成による炭素固定といった地球環境に影響を与えうる側面にも注目が集まっており、さらに研究が進んでいくことが期待されています。
さまざまな遺伝子の働きが稲の生育や環境適応の側面においてどのように作用しているのかがわかるようになってきたことで、より効率的かつ的確な生態解析や品種改良につながっていることは間違いありません。一方で、植物の生育には最低限必要な時間があり短縮することはできません。しかし、世界中でコアとなる植物の遺伝子研究など多様な研究が同時並行的に進展しており理解を加速させることが可能になっています。SDGsの解決に求められることは、立場の違いや環境の違いを超えて、純粋に一つのテーマに対してあらゆる枠を超えたリソースの持ち合いと、解決に向けた道筋を示していくことではないでしょうか。もとは、地域ごとの植生にフォーカスされてきた植物研究も、現代では立派にグローバルな研究ネットワークにより、かつてないほどスピーディに蓄積された叡智が新しい研究を生み、課題解決のための成果につながっているのです。食料に比肩する課題は世界に山積みですが、私たちの分野にできて他の分野にできないことはないと思います。稲をはじめとする植物の研究に見える世界の協力体制には、SDGs解決に向けたヒントが詰まっているように感じています。